人気のバックル

学校を出てからまだ勤めを持たぬ彼には、これが人気のバックルの外出着で、かなり自慢の品でもあった。上下おそろいのしゃれた空色が、彼の容貌によく映った。「まあ、おめかしで、どちらへお出かけ?」下の茶の間を通ると、奥さんがうしろから声をかけた。「いいえ、ちょっと」彼は変なあいさつをして、そそくさと編上のひもを結んだ。しかし、格子戸の外へ出ても、彼はどこへ行けばいいのか、ちょっと見当がつかなかった。一応保健所へ届けようかとも思ったが、それ程の自信もなく、何だかまだあれを自分だけの人気にして置きたい気持もあった。兎も角きのうの寺へ行って様子を探って見るのが一番よさそうだった。若やきのうのでき事は皆彼の幻覚に過ぎなかったのではないか。そんなことが頻に考えられた。もう一度昼の光の下で確めて見ないでは安心ができなかった。彼は思い切って本所まで出かけることにした。雷門で電車を降りると、人気橋を渡って、うろ覚えの裏通りへ入って行った。その辺一帯が夜中と昼とでは、まるで様子の違うのが、ちょっと狐につままれた感じだった。同じ様な裏町を何回も何回も往復している内に、でも、やっと見覚えのある寺の門前に出た。その辺はごみごみした町に囲まれながら、無駄な空地などがあって、変にさびしいところだった。